大統領官邸「夜明けの宮殿」(Palácio da Alvorada、パラッショ・ダ・アウヴォラーダ、1956-57年)を後にして、三権広場から借り切っているタクシーでやって来たのは、「JKブリッジ」という愛称で呼ばれている「ジュセリーノ・クビチェック橋(Juscelino Kubitschek Bridge)」だ。
緩やかな弧を描きならがパラノア湖(Lago Paranoá、ラーゴ・パラノアー)をまたぐ橋を、三つのアーチがジグザグに支えている。
このパラノア湖は、ダム湖のような造り。ジェット機型のブラジリアの、機首のさらに先にある河口をせき止めることで、その上流にある何本かの川の水がたまって人造湖になている。
JKブリッジから、ブラジリア空港に向かう道の途中にある商業施設、「湖南桟橋(Pontão do Lago Sul、ポンタォン・ド・ラーゴ・スゥ)」内にある、ブラジル北東部の「海鮮料理とバイーア料理(Frutos do Mar e Comida Baiana)」が自慢の店「マンズアー(Manzuá)」で昼食。
「マンズアー」というのは、ロブスター漁で使う網(あみ)のことなんだそうな。
まずはキンキンに冷えたビール「ボヘミア(Bohemia)」(小瓶8.00R$、約280円)で乾杯。この冷たさが最高のごちそうなのだ。
そして、ゆっくりとメニューを選ぶ。
自慢の魚介料理からは、「高級魚介のマンズアー風(Manzuá de Pescado Nobre、マンズアー・ジ・ペスカード・ノーブリ)」(2人前180.00R$、約6,300円)を選択。
これは白身魚の切り身、エビ、ロブスター、タコ、ムール貝を、オーブンで焼いたもの。
シンプルな味付けが日本人にもよく合う。
肉料理は、「ピッカーニャ(輸入物)のグリル(Picanha Grelhada (importada)、ピッカーニャ・グレリャーダ(インポルターダ))」(2人前150.00R$、約5,250円)をもらった。
2人前と言いつつ、肉は4枚出てきたので、ひとり1枚ずつ食べることができた。
大皿に盛られているときは、小さく見えるが、自分のお皿に取り分けると、これはもう立派なステーキである。
このピッカーニャ、「輸入物」としか書かれていないけれど、牛肉の輸出大国であるブラジルで、あえて輸入する国となると、アルゼンチンなんだろうな。
ブラジルでも、アルゼンチン牛は好まれているのだ。
「高級魚介のマンズアー風」にはライスと揚げジャガイモが、「ピッカーニャ(輸入物)のグリル」にはライスと、玉子のファロッファ和えが付いてくる。
玉子のファロッファ和え(写真の上部まん中)が意外性もあって、おいしかったなあ。
そして飲み物は、砂糖抜きのカイピリーニャ(Caipirinha、16.00R$、約560円)だ。
ブラジルの料理を食べるときには、カイピリーニャは欠かせない。下町酒場のチューハイと同じような存在なのだ。(この店は高級店なので、カイピリーニャもちょっと高いけど……。)
お勘定(サービス料10%付き)は4人で490.60R$(約17,170円)、ひとり当たり122.65R$(約4,290円)。
なにしろ帰りの飛行機の時間が決まっているので、デザートもコーヒーもなしで1時間ほどという、あわただしい昼食となった。
さらに空港に近づきながら、最後に立ち寄った観光ポイントは、ファティマの聖母教会(Igreja Nossa Senhora de Fátima、イグレジャ・ノッサ・セニョーラ・ジ・ファーチマ、1959年)だ。
これまでに見学してきた「ドン・ボスコ聖堂」や、メトロポリタン大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)などの壮大さとは比べものにならないほど小さな、町場(まちば)の教会なんだけど、この教会もオスカー・ニーマイヤーの作品だ。
小さな教会の裏手に回ってみると、その曲線的な造りや、まわりの自然との調和がよくわかる。
そしてブラジリア空港に到着。午後5時過ぎに出発する飛行機に乗り込めば、8時前にはアパートに到着する予定だ。
一泊二日の、駆け足でのブラジリア観光だったが、予想以上に楽しい旅となった。
そしてもう一つ。私とほぼ同い年のブラジリアは、「過去をもたない首都」という呼び名とも相まって、もっともっと新しい街かと思っていた。
でも55年の歳月は長い。ブラジリアができた当時にできた建物は、もう相当古くなり、街もある程度枯れてきて、いい味わいが出てきている。
『55年って、けっこうな歴史なんだなあ』
われとわが身に照らし合わせながら、改めて55年の年月を再認識した旅でもあった。
JKブリッジの前で |
レストラン「マンズアー」にて |
ブラジリア空港に到着 |
機内での軽食は来るときと同じ |
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