一時帰国中の業務報告で、久しぶりに豊洲にやって来ました。
呉から豊洲に転勤になったのは昭和63(1988)年のこと。
当時、この地にあった造船所で働いていたのです。
その造船所が、丸ごと横浜に移転することになり、私自身も横浜に移ったのが平成13(2001)年のことでした。
ああ、それなのに! この地には13年も通っていたはずなのに!
「懐かしいなあ」という感覚がまったくわいてきません。
それくらい街のイメージが変わってしまっているのです。
造船所の跡は、近代的な商業施設に生まれ変わっている。
豊洲交差点の近くで、レバ刺しをつまみにホッピーを飲んでいた酒場はなくなり、真新しい高層ビルが建ち並んでいる。
自分の知ってる懐かしい豊洲は、もうどこにも残っていないのか。
暗澹(あんたん)たる思いで歩いていると、まわりの景色から完全に取り残されているような、古い歩道橋を発見。
おぉ~っ。これは覚えてるぞ!
この歩道橋のこっち側に食堂があって、毎朝そこで天玉そばを食べてから、歩道橋を渡った先の正門から会社に行ってたんだ。
会社の帰りに、ここの食堂で飲んだりもしたよなあ。
食堂も正門も、まわりは全部なくなったけれど、歩道橋だけが今も残ってるんだ。
この歩道橋の下、道路のさらに下に、向こう側とこっち側をつなぐ、社員しか通れない地下道もあったんだけれど、それも当然なくなっちゃったんだろうなあ。
それにしても、ひとつでも懐かしいものがあって良かった良かった。
この歩道橋がなかったら、13年も過ごしたのに『かつて自分の街だったんだ』とも思えないところでした。
朝食:自宅で朝カレー |
昼食:焼き鳥そぼろ丼 |
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